風間天心のアートと、僕がシミュレーションとしてビート・ジェネレーションを生きようとした事の関係性をめぐって

風間天心のアートと、僕がシミュレーションとしてビート・ジェネレーションを生きようとした事の関係性をめぐって

僧侶でありながら、曹洞宗の仏教美術や修行法、法要を「アート」として再文脈化することを試みている風間天心。彼の不思議な活動はこれまで十分に検討されてこなかった。例えば、座禅をパフォーマンスとして見せることや、行脚を敢えてアートとして捉えるとはどういう意味をもつのか。さらに、彼の作品の中で宗教的な要素とアート的な要素はどのように交差しているのか。本稿では風間のいくつかの代表的な作品を論じてみたい。だが、まず何故、筆者が彼に興味を持ってきたのかに触れなければならない。これはいささか余談になってしまうが、この個人的な文脈なしでは、風間天心の活動の本質を私自身が把握し、それを読者に伝える事は困難だからである。

筆者は椹木野衣の『シミュレーショニズム』が世に出た同1991年に生まれた(それは同時に、冷戦が終結して資本主義が共産主義を飲み込み、大文字の「歴史」が終わった年でもある)。とはいえ、この「革命」が終わった後に生まれた僕は、椹木が叫んだ「恐れることはない、とにかく盗め」を積極的に捉えられるどころか、ある種の呪いとして経験してきた。つまり、オリジナルなきシミュラークルの世界を生きるために上の世代の神話を飲み込みながらそれをそのままに反復することぐらいしかできなかった。高校生になった私は、大衆文化以外の文化が本当は、どこかにあるのではないかと心配になり始めた。アメリカの白人上流階級の男性としては平凡だった筆者は、何か特別な自分独自のアイデンティティを探す必要に迫られた。僕は自分自身のアイデンティティを模索し、友達が貸してくれた50年代のビートジェネレーションの詩人たちの言葉や60年代のサブカルチャー全般の中で行われた麻薬の実験の再演の中にそれを見出そうとした。当時、よく読んでいた本を挙げれば、筆者が何を探していたのかを読者に理解して頂けるはずだ。例えば、ヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』やジャック・ケルアックの『路上』やロバート・M. パーシグの『禅とアートバイ修理技術』やアルダス・ハクスリーの『知覚の扉』などだ。つまり、自分探しや神秘主義や麻薬などのマンネリ化しているテーマを扱う本ばかりだ。これらの本をバイブルにしながら、何もないシアトルの郊外の環境と地味な日常生活から逸脱するために、筆者はビートニックとヒッピーのシミュレーションの中に入ってみた。

この延長線上で、ZENというものにハマってしまった。前述した多くの本の根底には鈴木大拙のZENがあると考えられる。誤解されないように、ZENと禅の差を説明しよう。本稿でZENと呼ぶのは、鈴木大拙が西洋で広げようとした、ロマン主義や神秘主義や伝統仏教の教義などがごちゃ混ぜになってパッケージングされた思想に他ならない。「無限と一体化しようぜ」っていうみたいなものだ。50年代と60年代のアメリカのサブカルチャーと多くのアートはこの鈴木のZENのうえに作られたと言っても過言ではないだろう。したがって、僕はいつの間にか「無」という言葉を宿題の紙上に書き始めた。そして、大学に入ったら結跏趺坐がなかなかできないのに毎日座禅をするように頑張った。苦しくなるほど「今、ここ」を生きようとした。悟りたかったからだ。というより、悟りにむけて励んでいるかのように演技していたと言ったほうが正確かもしれない。何故ならビートニク、ヒッピー、そしてZENをシミュレーションとして、生きざるをえなかった当時の自分のアイデンティティを保つ必要条件の一つだったからだ。

本来の禅とは、東アジアやベトナムなどの地域に根差した大乗仏教の修行であり、それを中心に据える宗派は多岐にわたる。地域による儀式と教義の差があまりに大きいので、それらを一括りに説明するのは難しい。といっても、しかし日本の文脈に限って言ってみれば、例えば曹洞宗は武家から百姓に受け入れられながら展開した宗派で、大きな官僚制としても機能していたことになる。曹洞宗の僧侶たちは葬式を仕切ることで武家から百姓まで広い信用を得られた。日本人にとっての禅とは多くの人々にとって悟りに関係するものどころか、このようなごく日常的で地味なものだったのだ。ここで本論の主題である風間天心に話を戻す。風間天心はこの日本の日常に根付いた禅をベースにしながら活動している。極論すれば、風間天心の作品は、鈴木大拙以降の欧米的なZENに対して日本的な禅仏教で挑戦している様に思える。それはつまり「悟り」じゃなくて、神仏習合だ!あるい「無」じゃなくて、葬式だ! そのような視点である。以下、いくつかの作品を紹介しながら風間のこのZENへのチャレンジを見ていきたい。

先に述べておくが、大拙鈴木のZENは本質主義的になりがちだ。例えば、禅ぐらい日本人の精神や美意識を代表するものがないというある種の神話がそこに隠れている。さらに、日本における禅は世界で、最も発達しているというある種の神話のバリエーションすらもある。欧米人は歴史的にこのようなステレオタイプの神話を聞くのが好きだった。逆に言えば、風間天心の作品は、このような「日本人論」への抵抗だと捉えていい。つまり、鈴木のZENはもともと日本人の本質的な美的アイデンティティを必要以上なほど強調しているのに対して、風間が作品の中で扱うモチーフは、近代以降の日本人の国民意識の成立過程における多重性を表象している。そして、この歴史は、言うまでもなく、悟りや「無」というより、神仏習合や現世利益を中心とする宗教観を主軸にしている。言い換えれば、風間は、鈴木のZENから不純なものとして排除されているものをもう一度、美術を以て提示しているのである。これは同時に、本人と彼の家族の歴史にも深くつながっているのである。

 The Diaspora, 2014

The Diaspora, 2014

 去年の12月の28日から今年の1月の28日まで、黒瀬陽平とカオス・ラウンジは廃仏毀釈と東日本大震災との類似性をテーマにしながら、福島県いわき市で新芸術祭を開催した。この試みは国家による暴力や災害からの復興と美術の関係性を考える貴重なきっかけとなったが、風間は以前から、違う視点からこのようなテーマを扱っていることを見過ごしてはならない。具体例としてまず『The Diaspora』(2014)を取り上げる。この作品は、風間の北海道にある実家の寺で安置されている天狗の彫像などで構成されているが、それだけでは作品の意図するところはわからないだろう。彼の実家である東川寺は、もともと東京の目黒にあり、しかも明治以降に失われた神仏習合の代表である金毘羅権現の信仰が集まっている場所だった。東川寺のその後の変遷について書かれた、現在のご住職の文章を引用する。

「 高幢寺(筆者注:今の東川寺)は曹洞宗の禅寺と云うよりも「金毘羅大權現」で有名であったため、神仏混交を禁止され、金毘羅大權現は神体とみなされ神社で祭るものとされたのです。 さらに金比羅大權現と書いた藩主・島津重豪の薩摩藩はこの廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動が他の所より厳しく行われました。 薩摩藩内の寺院は殆ど破壊され、藩主の菩提寺の福昌寺も破壊されたのです。 以上のように明治政府が急激に国家神道を進めてゆく事により、残念ながら高幢寺もついに廃寺に追い込まれることになったのです 」。[1]

 The Diaspora, 2014

The Diaspora, 2014

東川寺が北海道で復活したのは明治32年 (1899)。その際、東京に残っていた仏像などを当時の住職が北海道に持ち運んだ。その天狗の彫刻を美術として展示したいと、風間は父を説得して本作を発表した。この作品はもちろん、デュシャンの「レディ・メイド」というテクニックを利用しているが、それより日本(という国民国家が成立される以前)の独自の信仰と文化〈神仏習合〉と、明治以降の神仏判然令とそこからおこった〈神仏分離〉という近代化の文脈にも繋がっている。作品の中にある天狗はそもそも金毘羅の彫像を見守っていたが、廃仏毀釈によって、その彫像は消失してしまった。この消失、言いかえれば喪失はこの作品のコアだと言ってもいい。触れられないばかりか見ることもできないもの、忘却されつつある、かつて存在していたものこそを、この作品は想起させるのではないか。そして、この喪失は鈴木大拙のZENという純粋なイメージと相性がよくない、神仏習合とそれを抹殺しようとする廃仏毀釈の歴史を観客は認識させられる。ZENの中に、ある種の純粋なもの(言い換えればおそらく東洋への幻想/オリエンタリズム)を求めていた僕は戒められたような気がした。何故ならば本来、禅は虚飾を最もを拒むからだ。

 Sit, 2010

Sit, 2010

僕は現在、毎日座禅を頑張っていた大学生の自分を振り返ってみると、恥ずかしく思う。というより、当時もすでに恥ずかしかった。座禅そのものを通じて実践しようとするよりは、自分が座禅をすることでビートニックになろうしているのという事実に気付いていたからだ。とはいえ、風間の作品もこの過剰な自意識と全く無関係ではないのではないだろうか。ここで上掲の一つの写真を見てほしい。この写真は、風間の『Sit』(2010年)というパフォーマンスで、曹洞宗の「只管打坐」[2]などの教えを連想させるが、同時に、風間の斜め上方に設置された照明により、風間の作家としての、自意識が展示空間に照らし出される事になる。展示用の照明の存在が、風間は誰かに見られたり期待されたりするという事実を作家として忘れていないという事実をさらけ出す。風間はこの自意識を自覚的にパフォーマティヴに見せている。さらに、このパフォーマンスは風間の西洋で行った『日常茶飯事』というシリーズのベースになっているという点で、オリエンタリズムという問題にも直面していると言える。ZENは日本国外でいかにステレオタイプの「東洋趣味」として捉えられている事だろう。西洋の美術批評家は、ある作家の作品になんとなく東洋的なモチーフや「情緒」を見出すと、ZEN的だと評することが少なくない。仏教に限らず、「東洋的」と見なされる全ての思想をZENに収斂させていくメカニズムが欧米社会には存在すると言い換えてもいい。風間は自意識を持ってZEN的なものを敢えてそのまま再現することで、ステレオタイプな東洋趣味に陥るプロセス自体を批判しているのだ。ZEN的なものを見たがっている観客ら(例えば高校大学時代の筆者の様な鈴木大拙以降の東洋への幻想/オリエンタリズム)に対して座禅をすることは、美術の文脈において、ZENのパロディだと言えるだろう。この悪意こそは風間の作品の真骨頂であると考える。

 The Distance (2011)

The Distance (2011)

私事ではあるが、ZENやビート・ジェネレーションの神話への信仰が相対化され 、筆者は再びアイデンティティを模索している。これは、シミュレーションが終わった後に来る虚無感に違いない。だが、この居場所の無さは風間の作品の中にも見だすことができる。筆者の喪失感や虚無感をある種のディスケルとして批評に反映させながら風間への論考を続ける事にする。

2008年に武蔵野美術大学の油絵コースを修了後、風間は永平寺で修行し、2011年の一年間パリに滞在した。遠く離れたパリから日本の3.11以降の惨状を見て、無力感を覚えたという。そこで、彼はフランスを行脚するという不思議な試みを始めた。この宗教的な行為をあくまでもパフォーマンスとして捉えた風間は、後にビデオや写真を発表した。この『The Distance』(2011)という作品は、キリスト教圏で仏教行脚・托鉢することの不条理さを追求していく。この彷徨いは、日本人が将来的に日本から追い出されるとしたらどうなるのかという仮定的なシナリオに基づくと風間は言う。風間はこの作品の中で、かつて鈴木大拙がZENによって定義した「日本」と、その「日本」によって定義されたZENからさえも逸脱するかのようにパフォーマンスしている。歩きながらアートと禅の新しい関係性を探していく、この風間のZENへの挑戦はまだ続いているように思われる。筆者は鈴木大拙以降のZENに隠蔽されてしまった日本の禅仏教の歴史と、その功罪に鑑賞者の目が向けられることを願っている。風間が次回行うプロジェクトとして「平成」以降の葬式を予定している様だが、筆者は「シミュレーションとしてのZEN」以降を具現化する作品となる事を予感し、大変、期待している。

[1] https://www.thosenji.com/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E4%B8%8B%E7%9B%AE%

E9%BB%92-%E9%AB%98%E5%B9%A2%E5%AF%BA/

[2] 曹洞宗の教祖の道元の根本的な教えである。ひたすら座る(座禅する)

という意味を持つ。

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